なぜ人は「目に見えないもの」を信じてしまうのか?──感情と脳が作る物語の正体

なぜ人は“目に見えないもの”を信じてしまうのか?──感情と脳が作る物語の正体

昔、中華街で見てもらった占いで、「あなた、会社員より事業向きだね」と言われた。

そのときは「へえ」くらいに聞き流してたんだけど──

1ヶ月後、まさかの本当に休職して自分の仕事を始めた

…いやマジで何だったんだあの予言。

ちなみに団子、別の機会に「前世はアンドロメダ星人だね」って言われたこともある。

焦げ団子

地球人ですらない?

もうここまでくると、信じる信じないじゃなくて、「なんかそう言われる星の下に生まれてるんだな」と思うしかない。

でも不思議なもんで、「自分には見えない何か」が働いてる気配って、誰でも感じたことあるはず。

タイミングよく出会った人、なんとなくうまくいった仕事、逆に、全部が裏目に出るとき。

そういうとき、団子は思うんだ。

「これって何か意味あるんじゃないか」って。


今回は、そんな「なぜ人は目に見えないものを信じたがるのか」という永遠の謎に、団子的にツッコミながら迫っていくぞ🍡


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なぜ人は“目に見えないもの”を信じてしまうのか?──感情と脳が作る物語の正体
目次

昔の人は、ずっと見えないものと生きてきた

なぜ人は“目に見えないもの”を信じてしまうのか?──感情と脳が作る物語の正体

占い、呪術、神託、天啓、霊──

「目に見えない何か」を信じる文化って、実は人類史のど真ん中にある。

科学が発展する前は、「目に見えること」より「見えない力」のほうが信頼されてたまである。

たとえば、古代メソポタミアでは天体の動きを読んで王の行動を決めてたし、古代中国では風水や陰陽五行を基に、国家や建物の設計すらされてた。

戦の勝敗も、病気の原因も、結婚のタイミングも──

ほとんどすべてが「見えない何か」のご機嫌次第で決まってた。

日本でいえばシャーマンとか巫女もそうだ。

神がかりして語る言葉は、時の為政者より信じられてたし、「呪い」や「たたり」なんてのも、リアルに生活の一部だった。

焦げ団子

昔の人は、全部神のせいにできたから
今よりある意味気楽だな。

でもこれは、ただの無知とか迷信って話じゃない。

人間って、わからないことに直面したとき、「とりあえず意味づけたい」って本能がある。

見えないものに意味を与えることで、心を落ち着けてたんだと思う。

雷が鳴れば「神様が怒ってる」、熱が出れば「悪霊が入った」、災害があれば「祟りだ」、

──そうやって理由をつけることで、どうにもならない現実に、少しでも手が届くようにしてた。

信じるのは“感情”じゃなくて、脳の仕様だったりする

なぜ人は“目に見えないもの”を信じてしまうのか?──感情と脳が作る物語の正体

たとえば、コップがテーブルから落ちた瞬間、

「何かのサインかも」と思うことがある。

冷静に考えれば、ただの物理現象なのに。

でもその瞬間、意味をつけずにはいられない。

これ、人間の脳が勝手に“パターン”を探す生き物だからなんだよな。

脳には「バラバラな情報をつなげて、物語を作る」ってクセがある。

これを心理学的には「確証バイアス」とか「意味づけ欲求」とか呼んだりする。

たとえば:

  • 「嫌な予感がした」→「実際に悪いことが起きた」
    → それを結びつけて「直感は当たる」と思い込む
  • 「ゾロ目をよく見る」→「これは宇宙からのメッセージ…?」 
    → それ以降、無意識にゾロ目だけに反応していく

こんなこじつけが頭の中であたかも事実のように結びつけられる。

でもそれって、単に脳が勝手に「ストーリー編集」してるだけ。

ランダムな出来事でも、「因果関係があるように感じたい」っていう、人間らしさの暴走とも言える。

焦げ団子

意味をつければ、ちょっとだけ痛みがマシになるんだよ。

焦げ団子

たとえそれが、でっちあげでも。


人は偶然の産物を「意味づけ」する癖がある!

偶然の科学

なぜ人は“目に見えないもの”を信じてしまうのか?──感情と脳が作る物語の正体

信じてないけど、全部が偶然とも思えない瞬間がある

団子は基本、論理派だ。

なんでも「説明できるものしか信用しない」って姿勢で生きてきた。

……つもりだった。

でも、ある時ふと思った。

なんでポジティブな気持ちのときって、やたら物事がうまく運ぶんだ?って。

別に願掛けしてるわけでもない。

ただ、心に余裕があるだけ。

なのに、いい出会いがあったり、欲しかった情報に偶然出くわしたり、ふだん見つからない落とし物がするっと見つかったりする。

逆に、気持ちが荒れてるとき。

どうでもいいことでイライラしてる日、時間もないのに予定がずれ込んで、電車も遅延して、Wi-Fiも不調で、ついでにコーヒーもこぼして

──「お前、何の呪いだよ」ってなることもある。

焦げ団子

霊感ないけど、
「いま運気悪いゾーン入ったな」って肌で感じる瞬間あるよな。

で、それを「ただの偶然」と言い切れるほど、団子、人生なめてない。

たとえば「信じたから叶った」とか、「強く願ったら引き寄せた」とか、言葉にすると一気に胡散くさくなる。

でも、気持ちが軽やかな時ほど、行動しやすくなって、結果がついてくるってことはあると思ってる。

科学的に言うとそれは「認知のフィルターが変わる」ってやつかもしれない。

ネガティブな状態だと失敗の可能性ばっかり見えて動けなくなるけど、ポジティブでいるとチャンスが目に入りやすくなって、動ける。

でもまあ……

それを「引き寄せ」って言いたいなら、それでもいいと思ってる。

まとめ:信じる・信じないの間で、人は今日も生きている

信じる・信じないの間で、人は今日も生きている

「科学的に証明できないものは信じない」

「偶然に意味なんかない」

そう言い切れる人もいる。たしかにそれは正しい。

でも、人生って、正しいこと「だけ」じゃやっていけない時もある

悲しいことが重なったとき。

どうしても理由が欲しくなったとき。

「なんで自分だけこんな目に?」って泣きそうになる夜。

そんなとき人は、見えない何かに、ほんの少しだけすがりたくなる。

意味なんてない”かもしれない。

でも、意味があると思えることで、立ち上がれるなら──

それってもう、十分力があるんじゃないか。

焦げ団子

理屈で割り切れない時があるのも人間だ。

信じるって、現実逃避じゃない。

「自分にとって都合のいい物語」を、自分の中に用意しておくこと。

それが人間らしさなのかもしれない。


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