映画館に行くと、映画より先にポップコーンの匂いに殴られる。
高すぎて焦げ団子は基本的に買わないが、それでも売り場を見ると、かなりの人が当たり前のようにポップコーンを買っていて毎回ちょっと驚く。
でも冷静に考えると、これってわりと不思議だ。
静かに観るはずの映画館で、しゃくしゃく音の出る食べ物が定番になっているのだから。
実は、映画館は最初からポップコーンを歓迎していたわけではない。
焦げ団子今回は、なぜ映画館にポップコーンが定着したのかその歴史と、映画体験がどう変わったのかを掘っていく。


映画館はなぜポップコーンを禁止していたのか
昔の映画館は、今とはまったく別の場所だった。
ポップコーンは歓迎されるどころか、むしろ嫌われ者だった。
音はうるさいし、床は汚れる。
見た目も決して上品とは言えず、映画の雰囲気を壊す存在だと考えられていた。
当時の映画は、静かに、姿勢よく、少し背伸びをして観るものだった。
だから映画館は、今のような気軽な娯楽施設というより、どこか神殿に近い空間だった。



ポップコーンは、その神聖さを壊しかねない存在だったんだな。
世界恐慌で映画館はポップコーンを受け入れた


ところが1929年、世界恐慌が起きる。
客は減り、収入は落ち、「映画を上映するだけ」では映画館は生き残れなくなった。
そんな中で目をつけられたのが、ポップコーン屋だった。
ポップコーンは安い。
原料はほぼトウモロコシで、仕込みも簡単。
当時でも一袋あたりの原価は数セント程度だったと言われている。
それを映画館で売るとどうなるか。
映画一本分に近い価格で売れて、利益率は8〜9割。
しかも上映前に必ず売れる。
安くて腹にたまり、匂いで客を呼び、映画を観ながら食べられる。
映画館はここで気づく。
あ、これ……映画より安定して稼げるな。
こうしてポップコーンは、映画館を救う「副業」から、やがて経営の柱になっていった。
映画は高尚な娯楽から大衆娯楽へ変わった
この瞬間、映画体験そのものが変わった。
それまで映画館にあったのは静寂だった。
それが、いつの間にか咀嚼音に置き換わる。
無臭だった空間には、バターの匂いが充満する。
かつて神殿のようだった映画館は、気づけば屋台を併設した空間になっていた。
映画館がポップコーンを許したことで、映画は「選ばれた人の娯楽」から、誰でも気軽に楽しめる大衆のものへと変わった。
そして今では、映画体験そのものが「音+匂い+咀嚼」込みのパッケージとして成立している。



スクリーンの中だけが映画ではなく、客席で起きていることすべてが、映画の一部になったんだな。
映画館がポップコーンを手放せなくなった理由
ではここからは映画館がポップコーンを手放せなくなった理由について説明していこう。
理由は単純だ。利益率が異常に高い。
ポップコーンの原価は、ほぼトウモロコシ。
調理も簡単で、人手もかからない。それなのに売値は映画一本分に近い。
しかも売れるタイミングがいい。
上映が始まる前、客が席に向かう直前に、ほぼ確実に売れる。
映画のヒット・不発に左右されにくく、在庫リスクも小さい。
この時点で、映画館にとってはあまりにも都合がいい商品だった。
極論を言えば、映画館は映画を売っているのではない。
ポップコーンを売るために、映画を流している。
そう言われても、あながち間違いではない構造が出来上がっている。



その証拠に上映前の映画予告映像ってかなりの確率でポップコーン映ってるしな。客に映画館=ポップコーンってイメージを植え付けてるんよ。
まとめ|映画館が神殿でなくなった日
映画館がポップコーンを許した瞬間、映画は神殿じゃなくなった。
でもその代わりに、誰でも入れる場所になった。
ポップコーンは、映画を堕落させたんじゃない。
映画を生き延びさせた。
今日も映画館で一番自由なのはスクリーンじゃない。
ポップコーンだ。



ちなみに焦げ団子はキャラメル派である。


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