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恐竜が人を襲い、檻が壊れ、テーマパークが一瞬で地獄に変わる。
なのに、観てるこっちはワクワクが止まらない。──なぜだ?
1993年、スティーヴン・スピルバーグが放った怪物作。
それが、『ジュラシック・パーク』。
科学が夢を叶え、太古の命を蘇らせる。
でもその夢は、ちょっと目を離すと人を食うエンタメ地獄に変わる。
団子はこの映画で、「世界ってこんなにスリルとロマンに満ちてたのか」と震えた。
実はこの映画にはエピソードがあって、両親が映画館で観ていた時、お腹の中の団子は恐竜の咆哮に合わせてドカドカ暴れていたらしい。

人生初の映画が『ジュラパ』って、英才教育にも程がある。
父はそのまま席に残り、2回連続で観たというから筋金入りだ。
これはもう、運命だろ。
科学、傲慢、命の奇跡、ティラノの狂気──
今日は団子的に『ジュラシック・パーク』をレビューしていく。
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ネタバレあらすじ|「恐竜がいる島に、遊びに行ってはいけない。」





ネタバレ注意だよ!
大富豪ジョン・ハモンドは、遺伝子操作で絶滅した恐竜を現代に蘇らせることに成功する。
その恐竜たちを一大テーマパークで展示する計画。
名前は──ジュラシック・パーク。
「安全です!問題ありません!」と胸を張るハモンド。
…だが保険会社は信じていない。
そこで「このパークが本当に安全か」を判断させるため、恐竜の専門家グラント博士、植物学者サトラー博士、そしてカオス理論のマルコム博士を島に招待する。(ついでにハモンドの孫2人もついてきた)



そこで地獄が待っているとも知らず…
はじめは夢のようだった。
檻の中を歩くトリケラトプス。
追いかけるヴェロキラプトル。
そして、パークの主役・ティラノサウルス・レックスの雄叫び。
…しかし、悪夢はすぐに始まる。


システム担当のネドリーが、恐竜の胚(はい)を盗むためにセキュリティを全停止。
嵐が迫る中、パークの電気がすべて落ち、恐竜たちは野放しに。
子どもたちの目の前でTレックスが車を襲撃し、群れで狩りをするラプトルが施設内に侵入する。
博士たちは、生き残りをかけて脱出を試みるが、追い詰められた先には、知能の高すぎるヴェロキラプトルたちが待ち受けていた──。



もう一生、厨房のドア見るたび思い出すわこの映画。
そして最後、野生のTレックスがラプトルたちをぶちのめすという暴君の王道展開で幕を閉じる。
博士たちはヘリで脱出し、夢のパークは崩壊。
生命は、決して人間の手でコントロールできるものじゃなかった。
見どころ|恐竜のCGと、地獄のテーマパーク設計図


恐竜のCGが、ガチで今見てもやばい
1993年って信じられる?
CGのはずなのに、恐竜たちが本当に“そこにいる”ようにしか見えない。
特に、トリケラトプスが横たわってるシーンとか、皮膚の質感・呼吸の動き・目の濡れ感──どれも生々しさ100点。



どこかにジュラシックパークがあると未だに信じてる。
ティーレックス初登場シーンは伝説級
突然、静かになるパークの一角。
……そこに響く、ズゥン……ズゥン……という足音と、水たまりの揺れ。
そして──柵が破られ、Tレックス降臨。
映画史に残る「恐怖の演出」として、あの”水の揺れ”はあまりに有名すぎる。



Tレックスの鳴き声はトラウマ。
パークのセキュリティ、ガバガバすぎでは?
冷静に考えると、セキュリティの設定どうなってんの?って話。
ゲートの電源が落ちたら即アウト。
恐竜たちは普通にドアを開けてくる。
肝心のIT担当は1人で、しかも社長から圧をかけられてる。
「これで一般公開するつもりだったんかい!」って全視聴者が心の中でツッコミ入れるレベル。



ラプトルより、経営者の頭の方が怖いまである。
ネドリー=ただの悪役ではなかった件
子どもの頃は、「恐竜逃がしたデブ!!」って思ってたけど、大人になって観ると、ネドリーがあまりにも労働者すぎて笑えない。
待遇はひどい、評価はされない、パークのすべてを任されてるのに孤立状態。
そりゃ裏切りたくもなるよな……というか、むしろ被害者側では?



IT社畜の闇。
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総評|恐竜だけじゃない、“命”を描いたパニック映画


子どもの頃に観たときは、ただ「恐竜が出てくる冒険アトラクション」として楽しんでいた。
CGすげえ!ラプトル怖え!Tレックスつええ!──で終わってた。
でも、大人になって改めて観ると、この映画が投げかけてくる“問い”が、じわじわ効いてくる。
それは、「人間は本当に自然をコントロールできるのか?」というテーマ。
恐竜を蘇らせ、囲い込み、ショーとして見せようとしたパークは、あっさりと崩壊する。
いくら最新技術を駆使しても、“命”は、そう簡単に支配できるもんじゃない。
そのメッセージを、一言で表しているのが──
イアン・マルコム博士のあのセリフだ。
“Life, uh… finds a way.”
「命は…道を見つける。」
このセリフ、当時は「妙にテンポが独特な人だな〜」くらいで流してたけど、今聞くと、「うわ…この映画のすべて詰まってるやん」ってなる。
人間がどれだけ準備しても、予測しても、命は予定調和なんかじゃ動かない。
しかもその道を見つけるのが、ラプトルという最悪の形だったのがまた皮肉すぎる。



一番野生だったの、人間の慢心だった説ある。
この映画が、ただのパニックホラーやCGド派手映画と一線を画しているのは、ただ恐竜を恐ろしい生き物として描くだけでなく、その“自然へのリスペクト”と、“命の不可解さ”をちゃんと描いてるからなんだと思う。
何度観ても飽きないのは、映像の迫力じゃなくて、背後にある哲学のせいかもしれない。
まとめ|恐竜映画じゃなく、“人間”を描いた物語
『ジュラシック・パーク』は、ただの恐竜パニック映画じゃない。
ド派手な映像、ワクワクのアドベンチャー、軽妙なキャラたちのやり取り──
そのどれを取っても一級品だけど、芯にあるのは「命とは何か?」という問いだった。
人間が「自然をコントロールできる」と思ったとき、命はあっさりとその手をすり抜ける。
科学の暴走と自然の暴力。
そして、それを見つめながらも「生き残ろうとする人間たち」の姿。
30年経った今でも色褪せない理由は、その映像の凄さじゃなくて、描いているテーマの“普遍さ”にあるんだと思う。
団子的には、「ジュラシック・パークって何回も観たくなるけど、毎回ちょっと違う見え方するよな」って作品。



子どもの頃は「恐竜かっけぇ!」、
今観ると「人間の方が怖ぇ」。
さて、次はあのテーマパークに入場するのは…君の番かもな。
──ゲートは、いつだって開いてるぞ。
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