もし芥川龍之介が21世紀に生きてたら――
「#自撮り盛れない」「#鼻が気になる」「#誰も共感してくれない」
ってタグを量産してたに違いない。
てことで今回は日本一、他人の目に振り回される坊主、禅智内供の“鼻地獄”を焦げ団子風にぶった切る。
この記事で紹介するのはこの作品
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羅生門・鼻 (新潮文庫) /芥川 龍之介 (著)
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芥川龍之介『鼻』 あらすじ(焦げ団子フィルターでざっくり)
主人公・禅智内供は、鼻が異常に長い。
誰も本人にツッコまないが、自分は気にしている。
だが「気にしてる自分を知られるのはもっと嫌」。
日々、鏡の前で「鼻が短く見える角度」を研究。
→ SNSで自撮り100枚撮ってる男子高生みたいなもん
内供、鏡の前でポーズ&角度研究
→「頬杖つき」「指で鼻隠し」「全方位からチェック」
でも、「自分が納得する“盛れ”は一度も作れない」
→ ここ完全に思春期男子の自撮り失敗エピソード
「同じ鼻の奴いねーかな?」と仏典を漁るが、誰もいない。
→ ネットで自分と同じコンプレックスの人を検索して一人で落ち込む現代人の原型
部下に気を遣われ、「医者に鼻を短くする方法を聞いてきました」と言われる。
→ 「別に気にしてねーし…(チラッ)」とツンデレ発動
部下に気を遣われ「方法知ってます」って言われて、
「あ、でも別に気にしてないし」ってツンデレかますが、全員知ってるし空気ヤバい
むしろそれが一番見ててつらい
治療法は鼻を湯で茹でて人に踏ませるという謎の拷問
→ 普通なら詐欺だけど、チラチラ見ながら結局やる。
→でも、「その姿」自体がもう完全にギャグ
まさかの鼻が短くなるが、今度は職場でジロジロ見られて笑われる日々に。
結果、「鼻が短い時の方が馬鹿にされる」→心が死ぬ
長い時は同情してくれてたのに、「治った」瞬間からイジりが本格化
“他人の不幸には同情するけど、不幸から抜け出すとムズムズして攻撃したくなる”
→ 読者も「あるある…」と胸が痛い
最後は「仏前で願い、元に戻って大満足」。
内供は元通りの鼻で人生再スタート。「もう誰にも馬鹿にされることはないぞ!」と内供ご満悦。
読者は「え、これでハッピーエンド?」と置いてけぼり。
なぜ「鼻」は現代人にこんなに刺さるのか?
さて、現代人のコンプレックスに切り込む芥川龍之介の「鼻」。
今も根強い人気を誇るこの作品だが、どうして今でもここまで人の心をえぐるのか焦げ団子なりに考察してみた。
他人の目を気にする=人間の原罪
内供が四六時中「鼻の長さ」を気にしてるのは、他人の目を一生消せないから。
現代人もSNSで「盛れなかった自分」「コンプレックス」を隠すために必死。
そのために自分の顔を原型がなくなるレベルで加工したり整形に走ったりする。
「気にしてないふり」「気にしてる自分がバレるのが一番きつい」という構造は今も昔も同じ
「普通」に執着するほど孤独が深まる
職場にも仏典にも同じ鼻はいない=自分の悩みを共有できる仲間がいない=孤独感の正体。
今はネット検索で同じ悩みの人を探して安心するが、結局「自分だけ」が一番不安。
誰も気にしてないと思いきや、実はみんな「自分の違和感」にビクビクしてる。
「自分で自分を笑う」余裕のなさが苦しさを倍増させる
内供は「堂々と鼻でネタにする」度胸がない=気にしてる自分に振り回されてる。
現代人も「失敗やコンプレックスを自虐ネタに昇華できる人」は強いが、なかなかそこまで気持ちを昇華できる人は少ない。
自分で自分を許せない。他人に笑い飛ばしてほしいのに、それすら恐怖を感じてしまうのである。
なぜ鼻が短くなったら、部下たちはより馬鹿にするのか?
人間は幸せな他人を見ると物足りなくなる生き物
誰かが不幸な時は同情したくなるが、その誰かの悩みが解決したり幸せになった瞬間、
「つまんな」「羨ましい」って僻みが発動。
悲しいかな他人の不幸で飯がうまい心理は現代も健在なのである。
変化した人間に「違和感」を覚える群集心理
ずっと「長い鼻」で認識してた人が急に変わると、人はその「違和感」を笑いで誤魔化しながら
「戻ってこいよ、俺たちの知ってるお前に」っていう無意識の引き戻し圧力によって
ある種出る杭は打たれる状態になる。
「自分で変化を勝ち取った奴」にムズムズする本音
他人の努力や変化を素直に褒められず、「お前だけ楽になってズルい」感覚と
しまいには悩みを克服した他人にはどこか「敵意」が生まれる。
内供は敵意によってより一層コンプレックスを強めてしまう結果になる。
集団で笑うことで“自分の不安”を打ち消す
「鼻が短くなった内供」を笑うことで自分たちの不満・コンプレックス・変化への不安をごまかしてる。
よくネットで話題になっている人や芸能人が叩かれているがあれも似たようなもん。
現代の“ネットいじり”や“炎上”にもつながるメンタリティにつながる。
この物語の“救い”はどこにあるのか?
実は内供が「元通りの自分」に戻れた時、初めて安心してるのが最大の皮肉。
「普通」でいること、「いつもの自分」に引き戻されることでしか
心の安定は得られない人間の弱さと可笑しさ。
逆に言うと、「変わる勇気」より「そのままの自分でい続ける」方が楽ということだろう。
内供、この後どうなったのか予想
内供、やっぱり“悩み無限ループ”説
- 一度「元通り」で安堵したものの、また日常のどこかで「でも本当は鼻短い方がよかったんじゃ…?」とモヤモヤし始める。
- 周囲の「やっぱり前の方が良かった」とか「やっぱ長すぎでは?」みたいな空気にまた心がザワつく。
- 結局、「変化も現状維持も不安」という無限ループ地獄に逆戻り。
→ぶっちゃけこれが一番可能性高い
仏前で「この鼻こそが俺のアイデンティティ」と開き直るルート
限りなく可能性は低いが、もし内供が開き直った場合、
- ふとした瞬間、「これが俺だ!」と自虐ギャグに昇華し始める。
- 「みんな俺の鼻で盛り上がれて良かったな!」と逆に鼻を武器にする生き方。
- SNSだったら#鼻芸坊主でバズる。
…と、案外幸せな人生が待っているのかもしれない。
部下たちの態度が地味に変わるパターン
部下たちの話題の的には確実になっているから逆手にとってタレント化するのもあり↓
- 短くなった時いじり倒された反動で、「また伸びてきたな…」と影で盛り上がる。
- 職場のアイドル→職場の変人→またアイドル(?)に。
- だがどのみち、本人の悩みは誰も分かっていない。
- 時代を超えて鼻の長い坊主伝説として語り継がれるパターン
【番外編】現代編:SNSで「長い鼻を活かした自撮り」バズり芸人化
↓個性と奇抜さが重んじられる現代では案外ウケるのかもしれない…(ただし開き直れればの話だが…)
- どんなコンプレックスも「武器」にしたもん勝ちと気づく。
- TikTokで鼻芸動画投稿、「逆に可愛い!」と謎のフォロワー急増。
コンプレックスとの付き合い方、焦げ団子的に
正直、「受け入れろ」とか「自虐しろ」とか言われても、
実際やってみたら全然ラクになんてならない。
むしろ、「どうして自分だけ?」って気持ちが一生つきまとうのがコンプレックスってもんだろ。
でも、それでも毎日生きていかなきゃならん時、
「同じように悩んでる奴がどこかにいる」ってだけで、
ちょっとだけ気が軽くなることもある。
内供だって、きっとどこかで「俺だけじゃなかったんだな」って誰かと鼻の話できたら、
もうちょい楽になれたかもしれない。
芥川龍之介『鼻』、焦げ団子的まとめ
「人生のアクセント」とか「チャームポイント」って、それを強要された瞬間に余計つらくなる。
「ありのままでいいよ!」みたいなテンプレも、
本人の痛みや葛藤をすっ飛ばした上滑りな優しさになりがち。
結局、みんな自分だけが変なんじゃって思いながら
うっすら他人と励まし合って、
時々「それでもまあ、今日もやっていくか」ってやり過ごす。
それくらいがちょうどいい。
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