このあいだ、小説版の『8番出口』を読んだ。
映画はまだ観てないけど、ゲームはプレイ済みで今でも印象深い作品である。
ちなみに『8番出口』とはKOTAKE CREATE氏が制作した異変探索系ゲーム。
焦げ団子舞台は、日本の地下鉄を思わせる駅構内。
プレイヤーはそこをぐるぐる歩きながら、「異変」が起きていなければ先へ進み、「何かおかしい」と感じたら引き返す——という、いわば間違い探し+ループ脱出ゲームだ。
このゲームは日本で大ヒットし、さまざまなゲームに大きな影響を及ぼした。
でも、このゲームが放つ恐怖って、ただのホラーじゃない気がする。
むしろ、「日常に潜む違和感」そのものをテーマにしてるように感じた。
ゲーム『8番出口』とは?──異世界ループ×違和感ホラーの傑作
まずは、『8番出口』とはどんなゲームなのかを紹介しよう。
『8番出口』は、KOTAKE CREATE氏が制作した異変探索系ウォーキングシミュレーター。
舞台は、どこにでもありそうな無機質な地下通路——日本の地下鉄を思わせる駅構内だ。
プレイヤーの目的はただひとつ。
“異変”がなければ進み、異変を感じたら引き返す——それだけ。
いわばこれは、「記憶 × 間違い探し × 脱出ループ」ゲーム。
異変は全部で31種類あり、プレイ中に一つひとつ遭遇していく楽しさもある。



団子的に言わせてもらえばこれは人間の観察力と不安感を試す、記憶ホラーだ。
その異質さは瞬く間に話題となり、実況動画をきっかけに日本でも海外でも大バズり。
Steamレビューは圧倒的高評価で、短時間でクリアできるのに強烈な印象を残す名作として、多くのプレイヤーの記憶に刻まれることとなった。
じゃあ、なぜこの単純なゲームが、ここまで話題になったのか?
次の章でその「恐怖の本質」を、もう少し深掘りしてみよう。
なぜ『8番出口』はSNSでバズったのか?その理由を考察


『8番出口』がここまで注目を集めた理由。それはただおもしろいからだけじゃない。
むしろ、「見せるコンテンツ」として完璧だったことが、このゲームを社会現象に押し上げた最大の要因だといえる。
実況映えがすごい!視聴者参加型ゲームとしての強み
このゲーム、いわゆるゲーム実況者との相性が異常にいい。
なぜなら、プレイヤーと視聴者がほぼ同じ目線で異変を探せるからだ。
「今の、何かおかしくなかった?」「あれ!?壁の質感が……」
と、視聴者も一緒になって間違い探しに参加できる。
さらに、異変が発生するタイミングや内容がランダムなため、実況者のリアクションも十人十色。
「自分だったら気づけたかな?」という共感性も生まれやすい。
サクッとプレイできるテンポの良さ
ルールも操作もシンプルで、1プレイ数十分で終わる。
短くて濃い体験というのが、忙しい現代人にドンピシャだった。
リトライもスムーズで、「今の異変、なんだった?」というモヤモヤ感が絶妙にクセになる。



まさに中毒性抜群のゲーム設計。
TikTok・X(旧Twitter)で拡散しやすい構造とは
X(旧Twitter)やTikTokで拡散されやすいのは、参加できるネタ。
そして『8番出口』は、その本質が「違和感を探す」という、視聴者参加型のテーマだった。
静止画でもGIFでも伝わるビジュアル、短尺でもインパクトのある異変シーン、「この違和感、気づける?」系のポストとの相性も抜群。
結果、SNSでの拡散→実況動画の再生→さらに注目という好循環が成立し、ホラーじゃないのに怖い謎ゲーとして一気に話題となった。



つまり、『8番出口』はバズるべくしてバズった。
次章では、そんなバズの裏にある「恐怖の正体」に迫ってみよう。
チラズアートとの違いは?日常ホラーの系譜に迫る
『8番出口』が国内外でウケた理由の一つに、「日本的な日常風景」×「なんともいえない不安」という組み合わせがある。
駅の構内、白い蛍光灯、監視カメラ、意味ありげなポスター……ゲームに登場するすべての風景は、どこにでもあるありふれた空間だ。
それなのに、なぜかずっと気味が悪い。
チラズアート作品と比較してわかる明確な差
この説明できない怖さは、ホラーゲームファンにはおなじみの感覚かもしれない。
特に、日常ホラーといえば日本のインディーゲーム開発者・チラズアートの作品を思い出した人も多いはずだ。
たとえば『ヒトカラ』や『夜勤事件』では、はじめは平凡な日常が淡々と進む。
だが少しずつ違和感が積み重なり、最終的に“何か”が起こる。
『8番出口』は物語のない不穏さで勝負している
ただしチラズアートの作品は、「意味ありげな物語」や「背後にある背景描写」が特徴でもある。
一方で、『8番出口』には一切のストーリー要素がない。
名前のあるキャラも出てこなければ、設定の説明もない。
ただただ、異変を探して出口を目指すだけ。
間違い探しのようなシンプルな構造に、「見慣れた空間が少しだけ変わっている」だけの演出。
そこに説明は一切なく、意味も物語も与えられない。
「物語のない不穏さ」こそが、このゲームの革新だった。
日常的な日本の風景 × 不穏 × 無機質。
そのミニマルさが、海外のプレイヤーには和風ホラーとして刺さり、国内では“想像で補完させるゲーム”として独特の魅力を放った。
次章では、そんな無に近いゲーム設計が、なぜここまで人を惹きつけるのか。
その心理的な構造をもう少し掘っていこう。
『8番出口』の恐怖はなぜホラー以上なのか?
『8番出口』が与える最大の恐怖は、「明確な脅威が必ずしもおこるわけではない」ことだ。
異変はさりげないことも多い。
ポスターの文言が変わっている・ドアのノブの位置が変わってる・歩いてくる人がいつもより早歩き・
……などなど、一見すると気のせいかも?レベルの違和感ばかり。
だけど、それが連続すると、脳がバグってくる。
「何かおかしい」と思い始めると、今度は「どこがおかしいのか」がわからなくなる。
つまりこれは、ホラーというより、自己認識と観察力を試すゲームなのだ。
プレイヤーが疑うのは「世界」ではなく「自分自身」
プレイヤーが疑うのは、敵でも世界でもない。自分の観察力と記憶そのものだ。
「さっきこんなだったっけ?」
「いや違ったような気もする…」
「え、あの看板、前からあった?」
これってつまり、自分の脳が信用できなくなる怖さ。
しかも正解は教えてくれない。間違えたらリトライ。
この不親切さが、プレイヤーをどんどん孤独にさせる。
まとめ|これはホラーゲームではなく体験そのもの
まとめると、『8番出口』の恐怖って、ホラーというより“感覚の破壊”なんだと思う。
・「気のせい」が蓄積してくる
・「記憶」が信用できなくなる
・「自分の判断」すらぐらついてくる
このゲームを通して、人は異変そのものじゃなく、「異変に気づけない自分」に不安を覚える。
そこに「ストーリー」や「説明」はいらない。
ただ静かに、無機質に、違和感の波が寄せてきてその波を何度もくぐり抜けて、やっとたどり着く「8番出口」。
それはきっと、脳と感覚のスタミナ勝負を勝ち抜いた者への、ごほうびの出口だったのかもしれない。



これはジャパニーズ不穏ゲーの進化系だ!
次は何が起きるのか、どこがズレているのか。
それが癖になる楽しさだった。


併せて読みたい日常ホラー!




ゲームカテゴリの最新記事





コメント