「100記事書けば、アクセスは自然と伸びていく」
ブログを始めたことのある人なら、一度は聞いたことがある神話だと思う。
実は、昔ネットで「100記事書いたのに、アクセス0でした」って嘆いてるWordPressのブログ記事を読んだことがある。
その記事を書いた本人は本気で落ち込んでいたけど、その「アクセスゼロでした」という投稿だけは、なぜかバズっていた。
いや、ちょっと待て。
ゼロアクセスのはずの記事がバズってるってどういうこと!?
この記事を読んだとき、団子は思った。
焦げ団子それって結局、失敗談がいちばん読まれるってことなのでは?
今回は、あの「伝説のアクセスゼロ記事」を振り返りながら、
- なぜ100記事が読まれなかったのか?
- なぜ「アクセスゼロ」と書いた記事だけ読まれたのか?
- そしてブログって何のために書くのか?
焦げ団子もブロガーの端くれ。今回は、この矛盾をちょっと真面目に考察してみるぞ。
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なぜ「100記事書いてもアクセスが来ない」のか?


ブログ界隈では、「まずは100記事書こう」「100記事書けばアクセスが来る」といった言説が昔からよく言われてきた。
でも、あのアクセスゼロの記事を書いた人のように、実際は「100記事書いても誰にも読まれなかった」という現実に直面している人も多い。なぜそんなことが起こるのか?
まず前提として、ブログには「無料ブログ(はてな・noteなど)」と「WordPressブログ(独自ドメイン型)」がある。
後者はデザインや機能、収益化の自由度が高い一方で、開設初期は誰にも存在を知られていない状態から始まるという大きなハンデを背負っている。
理由のひとつに、WordPressブログはGoogleに載るまで時間がかかるという性質がある。
特に開設したばかりのドメインだと、Googleが認識してくれるまでに数週間〜数ヶ月はかかる。いくら記事を投稿しても、「存在しないこと」になっている時期があるのだ。
さらに、「読者」が存在していなければ、そもそも誰も見にこない。Xやnoteと違って、WordPressはフォロワーもいいねもない。
投稿した瞬間に誰かのタイムラインに流れることもない。つまり、「砂漠に立て看板を置く」みたいな状況からスタートする。
もうひとつの大きな要因は、SEO(検索エンジン最適化)の知識が不十分なまま記事を書いてしまっているケースだ。
タイトルが弱い、キーワードの入れ方が曖昧、そもそも誰も検索しないテーマで書いている。そうなると、検索結果に載ったとしても誰の目にも止まらない。
つまり、どれだけ真剣に書いても「存在に気づいてもらえない」「検索されない」——この2つが重なると、100記事書いてもアクセスゼロは起こり得る。
むしろ、起こるべくして起こってしまう。
なぜ「アクセス0」と書いた記事だけ読まれたのか?
これはもう、はっきり言おう。
「100記事書いたのにアクセスゼロだった話」って、めちゃくちゃ人間味があって、面白いのだ。
真面目にコツコツ書いてきたのに、全然見られなかった。しかも、それをそのまま正直に書いてしまうって、もう強烈な自己開示だし、誰もが少し共感してしまう。
逆に、「月収10万円達成しました!」「バズって嬉しいです!」みたいな成功話って、正直どこか嘘くさい。再現性もないし、「はいはいすごいね」で終わる。
でも、失敗談は違う。
失敗には「自分もそうなるかもしれない」というリアルな不安があるし、「うわ、そういう地獄ってほんとにあるんだ…」っていうエンタメ性すらある。
つまり、読んで得した気になれる失敗談は、成功話よりも強い。
しかも、書いてる本人は落ち込んでるから、めちゃくちゃ正直なんだよね。
「読者を意識してないからこそ、文章に変な装飾がなくて読みやすい」
「ちょっと自虐的だから、感情移入しやすい」
「100記事書いたのに読まれないというワードの破壊力がすごい」
……とまあ、偶然にして最強のバズる要素が全部揃ってしまった。
皮肉な話だけど、本気でやった失敗ほど、見てる方には面白い。
その人にとっては地獄かもしれないが、他人からすれば極上の読み物になる。
そして何より、その記事を読んだ他のブロガーたちが「自分だけじゃなかった」と安心できた。
たぶん、それがいちばん大きい。
結局、“読まれなかった100記事”は何がダメだったのか?


読者目線で見れば、読まれないブログにはちゃんと読まれない理由がある。
まず、Google検索にすら載っていない記事は、存在しないも同然。
特に、WordPressで開設したばかりの新規ブログは、ドメインパワーがゼロ。Googleのロボットに認識(インデックス)されるまでに数週間~数ヶ月かかることもある。
検索経由のアクセスを狙うなら、そもそも「検索されうる状態」になっていないと話にならない。
次に、「誰のために書かれているかがわからない記事」も、ほとんど読まれない。
「これは〇〇で悩んでいる人向けの記事です」という読者の像が見えないと、読み手はただの独り言を聞かされているような感覚になる。
読者ニーズを捉えていない記事は、クリックされてもすぐ離脱されがちだ。
さらに重要なのは、SEOキーワードの設計とタイトルの付け方。
たとえば、「運命の朝に見た夢」とか「過去の自分が嫌いだった話」みたいなタイトル。noteやSNSでは刺さるかもしれないが、検索では完全にスルーされる。
なぜなら、検索ユーザーはそんなふんわりした言葉ではググらないから。
検索意図に沿った具体的なキーワード設計がなければ、そもそも見つけてもらえない。
文章が悪いわけじゃない。熱量も足りてる。
でも、「誰にも届かない」場所で、「誰にも伝わらない形」で書かれていた。
それが、100記事あっても読まれなかった理由だと思う。
でもその人は、あきらめずに「アクセスゼロだった」と正直に書いた。
皮肉だけど、その一文こそが、ちゃんと見つけてもらえる検索キーワードになった。
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そもそも、ブログって何のために書くの?
読まれない記事には理由がある。
でも、“読まれなかった=無意味だった”という話ではない。
たとえアクセスがゼロでも、そこにはちゃんと「書いた意味」がある。
それは、「自分の考えを言語化した」「形に残した」「一歩踏み出した」っていう、自分のための達成感。
そもそもブログって、目的が人それぞれすぎる。
副業で稼ぎたい人もいれば、記録として残したい人もいるし、
ただ言いたいことを言いたい人もいる。
読者を意識して工夫するのも大事だけど、
読み手ファーストを意識しすぎて疲れてしまうなら、それはもう本末転倒だ。
読まれた記事が勝ちだと思うなら、それはそれでいい。
でも、「書くこと自体に意味がある」って思えるなら、それも正しい。
アクセスが伸びなかった100記事も、その後の1記事に繋がったのなら、それは確実に土台だったはず。
そしてその時は伸びなくてもあとからアクセスが増えることなんていくらでもある。
そして、バズった「アクセスゼロの記事」だって、そこに辿り着くまでに積み上げた100記事があったからこそ、書けた言葉なんだと思う。



意味があるかどうかは、あとから決まる。
それがブログの、いいところでもあり、しんどいところでもある。
まとめ
「100記事書いても誰にも読まれなかった」
そんな現実があるのは確かだし、そこに落ち込むのも当然だ。
でも、だからといって「ブログは意味ない」「向いてない」って決めつけるのは早すぎる。
実際、その読まれなかった100記事がなければ、「アクセスゼロでした」と嘆くあの記事も生まれてなかったし、誰の共感も得られなかったはず。
読まれた記事は、いつだってその前に書いた全部でできてる。
だから、焦らなくていい。
書いた記事がすぐに読まれなくても、それはまだ見つかってないだけかもしれないし、もしかしたら、数ヶ月後に突然読まれる伏線になってるかもしれない。



100記事は神話じゃないけど、その過程にちゃんと意味があることだけは、団子は信じてるぞ。
関連リンク:読まれなくても折れずに続けたいあなたへ。ブログ継続のヒントになりそうな一冊
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