今回は、一風変わったクリスマス映画『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ(原題:The Holdovers)』の感想を書いていく。
クリスマスや冬休みと聞くと「楽しい」「温かい」「みんな幸せ」というイメージが、半ば自動的について回る。
けれど正直なところ、そのお決まりの空気が少し苦手だと感じる人もいるはずだ。
街は浮かれ、SNSには幸せそうな写真が並ぶ。
そんな中で、なぜか自分だけが取り残されたような気分になる。
理由は特別じゃない。帰る場所がない、気分が乗らない、ただ静かに過ごしたい。
それだけのことなのに、肩身が狭い。
この映画が描くのは、まさにそんな「楽しいはずのホリデー」に馴染めなかった人たちの時間だ。
派手な奇跡も、感動的な大団円もない。
あるのは、冬休みに置いていかれた人間同士が、不器用なまま同じ時間を過ごす数日間だけ。
焦げ団子お決まりのクリスマス映画に少し飽きてきた人、この時期をうまく楽しめない自分に居心地の悪さを感じている人には静かに刺さる一本だと思う。
ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ(原題:The Holdovers)あらすじ(ネタバレ控えめ)
舞台は1970年代のアメリカ。
全寮制の名門校で、冬休みを迎える直前の時期から物語は始まる。
休暇に入ると、ほとんどの生徒は家族のもとへ帰省していく。
そんな中、家庭の事情により帰る場所を失った一人の生徒、アンガスが、学校に残されることになる。
彼の監督役として指名されたのが、皮肉屋で厳格、規則にうるさい古風な教師・ハナム。
生徒からも同僚からも煙たがられている人物だ。
さらに、もう一人。
息子を亡くしたばかりの調理スタッフ、メアリーも、この冬休みを学校で過ごすことになる。
こうして「問題児の生徒」「扱いづらい教師」「深い喪失を抱えた大人」
立場も年齢も価値観も異なる三人だけの居心地の悪い冬休みが始まる。
当然のように会話は噛み合わず、互いに距離を取り、衝突も起きる。
だが、雪に閉ざされたキャンパスで同じ時間を過ごすうちに、三人は少しずつ、相手の孤独や痛みに触れていく。
この映画では、大きな事件も人生を一変させる奇跡も起こらない。
それでもこの数日間は、彼らの心に静かで確かな痕跡を残していく。
ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ(原題:The Holdovers)見どころ



ここからは『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』の見どころをネタバレありでご紹介していこうと思う。
見どころ① 予想をいい意味で裏切り続ける構成
この映画、最初は完全にミスリードしてくる。
生徒が数人集まり、冬休みの学校を舞台にしたハートフルな青春コメディが始まる――
そんな展開を想像した人も多いはずだ。
だが実際には、生徒同士の友情ドラマも盛り上がる群像劇もほとんど描かれない。
恋愛が始まりそうな空気も、意図的に避けられている。
さらに観ている側が「ここで救いが来るのでは?」と思った瞬間を、この映画はことごとく外してくる。
アンガスの両親が改心することもなければ、ハナムが学校内で評価を取り戻す展開もない。
むしろ彼は、観客の期待とは逆に、あっさりと職を失う。
いわゆる“映画的なお約束”を積み上げては、静かに、しかし確実に壊していく。
だからこそ先が読めず、この物語は最後まで緊張感を保ち続ける。
見どころ② アンガスという思春期の複雑さ
アンガスは、決して「分かりやすく可哀想な少年」ではない。
序盤では空気の読めない発言を繰り返し、他の生徒から距離を置かれ、ハナムに対しても生意気で挑発的な態度を取る。
だが物語が進むにつれ、彼が抱えている家庭の事情が少しずつ見えてくる。
新しい男に夢中な母親。認知症を患う父親。
その間で、行き場のない感情を抱え続けてきた少年。
アンガスは弱さをそのまま出せない。
代わりに皮肉や反抗心という形で感情を表に出してしまう。
一方で、要所では機転を利かせ、周囲をよく観察している一面も見せる。
不器用で、扱いづらくて、だからこそ妙にリアルで奥行きのあるキャラクターだ。
見どころ③ ハナムの「不器用すぎる教師像」
ハナムは、典型的な“嫌われ教師”として登場する。
皮肉屋で、規則に厳しく、人間関係も恋愛もことごとく不器用。
生徒からも同僚からも敬遠されている存在だ。
そんな彼が、物語の終盤で選ぶ行動は、決してスマートでも評価されるものでもない。
無断で父親に会いに行ったことで、退学になりかけたアンガスを救うためハナムは本人のいない場で「アンガスは素晴らしい生徒だ」と語り、すべての責任を自分が被る道を選ぶ。
その行動は、誰にも理解されない。
称賛もされず、見返りもない。
それでも彼自身にとっては、初めて“教師らしいこと”ができた瞬間だったのではないか。



ラスト、ハナムが学校を去るシーンはどこか清々しいものを感じたんだよな。
1970年代という時代設定が効いている理由
本作の舞台が1970年代であることは、単なるノスタルジー演出ではない。
この時代設定は、登場人物たちの選択肢を意図的に狭め、逃げ場を奪うための装置として機能している。
進路=人生がほぼ固定されていた時代
まず大きいのが、進路の重さだ。
1970年代のアメリカは、今のように「やり直しがきく」社会ではない。
名門校からの退学は、単なる学校トラブルではなく、人生そのものの脱線を意味していた。
アンガスの場合、その先に待っているのは退学 → 陸軍学校送り という現実的な進路だ。
これは脅しや誇張ではなく、当時としては十分にあり得る選択肢だった。
アンガスが追い詰められているのは性格の問題だけではない。
時代そのものが、彼を簡単に逃がさない構造になっている。
名門全寮制=エリートの閉じた世界
舞台となるバートン校も、強く時代性を背負っている。
そもそも入学できる時点で「選ばれた側」であり、家柄・学歴・コネが重視される、きわめて閉じたエリートの世界だ。
この環境では、教師も生徒も簡単に外へ出られない。
ハナムは学校内で孤立し居場所を失い、アンガスは家庭にも学校にも逃げ場がない
名門校であることが、彼らを守るどころか、むしろ縛りつけている。
メアリーが背負う、戦争という現実
料理長のメアリーが抱える喪失も、この時代設定と切り離せない。
彼女の息子は、ベトナム戦争で命を落としている。
大学に進学する経済的余裕がなく、学費や手当を得るために軍に入隊する。
それが、当時の貧しい家庭にとって現実的な選択だった。
努力しても、正しい道を選んだつもりでも、命を落とす可能性が常に隣り合わせにある。
メアリーの静かな怒りと悲しみは、1970年代という時代の影をそのまま背負っている。
「陸軍学校送り」が持つ、当時の重さ
1970年代の陸軍学校(ミリタリー・スクール)は、
- 規律最優先
- 反抗的な子どもの“矯正施設”的役割
- 親が「手に負えない」と判断した際の最終手段
という側面が強かった。
今のように「軍事教育に興味があって自ら進学する」というイメージとはかなり違う。
問題を起こした子、はみ出した子を押し込む場所として見られていたのが実情だ。
さらに、ベトナム戦争の記憶が生々しく残る時代。
軍は抽象的な存在ではなく、リアルに「死」と地続きの選択肢だった。
だから作中で語られる「陸軍学校に行くかもしれない」という言葉は、少し厳しい学校に行かされるではなく、今の人生が終わるかもしれないに近い重さを持っている。
なぜ母親は陸軍学校に賛成したのか
アンガスの母親の判断は、観ていて腹立たしい。
だが彼女は、悪意でそうしているわけではない。
それが一番しんどい。
頭はいいが反抗的で、扱いづらい息子。
1970年代の親世代にとって、こうした子どもは「話し合えば分かる存在」ではなかった。
矯正が必要で、厳しい環境で鍛え直すべき。
そう考えるのが、当時としては自然だった。
陸軍学校は罰ではなく、更生ルートとして認識されていた側面もある。
母親にとっては、「アンガスのために一番まともな道を選んでいる」つもりだったのだ。
さらに彼女自身も、新しい人生を始めようとしている最中だった。
新しい恋人、認知症の夫、生活の重圧。
正直、息子のケアまで手が回らない。
だから無意識に、アンガスを「預けられる場所」として陸軍学校を選んでしまう。
この文脈を理解すると、ハナムが自分の職を犠牲にしてまでアンガスを守った理由が一気に腑に落ちる。



あれは感動的な美談ではなく一人の大人が、他人の人生の分岐点を引き受けた覚悟だったんだ。
まとめ|派手じゃないのに、きちんと評価された理由
『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』は、いわゆる分かりやすい感動作ではない。
奇跡も起きなければ、人生が好転するような劇的な結末も用意されていない。
登場人物たちは、それぞれの問題を抱えたまま、ただ冬休みが終わるのを迎えるだけだ。
それでもこの映画が強く印象に残るのは、人を救うことも、分かり合うことも、決して簡単ではないという現実から逃げなかったからだと思う。
この静かで誠実な作りは評価も高く、本作は第96回アカデミー賞で作品賞を含む5部門にノミネートされた。
派手な話題作ではなくとも、物語の強度と演技の積み重ねがきちんと届いた結果だろう。
クリスマス映画なのに浮かれない。感動作なのに安易に泣かせにこない。
それでも観終わったあと、不思議と長く心に残る。



「楽しいはずのホリデー」に馴染めなかった人ほど、この映画の静けさは、優しく響くはずだ。
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