「親しみやすいね」が都合のいい扱いに変わる瞬間。いじられキャラ・“いい人”ポジションに疲れたあなたへ送る脱却エッセイ。

「親しみやすいね」が都合のいい扱いに変わる瞬間。いじられキャラ・“いい人”ポジションに疲れたあなたへ送る脱却エッセイ。

焦げ団子は、いわゆる穏やかで話しかけやすい人に見られがちだった。

実際よく「天然っぽいね」「親しみやすい」「壁がない」と言われてきた。

でも、それは別に努力してたわけじゃない。

むしろ、こっちはただ普通にしてただけ。

それでも、そういう柔らかい印象が先に立つと、勝手に「いじっていいキャラ」「頼っていい人」みたいな扱いをされる。

団子はそれを「まあ、そんなもんか」と思っていた。

でもあるときから、それがどれだけ自分をすり減らしてたかに気づくことになる──

目次

体験として起きたこと──優しさにつけ込まれた末路

団子はずっと、趣味でジムに通っていた。

体を鍛えたいというより、生活にちょっとした張りがほしい──そんな軽い気持ちで行っていた。

でもある日から、ジムのオプション営業がやたらとしつこくなった。

「このトレーニング追加しません?」

「断ると成果出ませんよ」

「そんなのにお金使うなら、ジムに回したほうがいいですよ」

……いや、こっちは趣味で来てるだけなんだよ。

旅行行こうが映画観ようが、団子の自由だろ。

断っても断っても、“もっと金払え” の一点張り。

たまにオプション受けても、「もっと払わなきゃ意味ないですよ」と、なぜか怒られる始末。

最終的に、キレてそのまま退会することになる。


会社でも、似たことが起きた。

多少いじってきても、仲良くやれてた人がいた。冗談も通じるし、まあ普通に話せるタイプだと思っていた。

……のに。

仕事の状況がちょっと悪くなった瞬間、相手の態度は180度ひっくり返った。

急にこっちをスケープゴート化して責める。

細かいミスを大げさに言う、悪意のある言い回しをする、とにかく 責める相手がほしいのが丸わかり。

あの “親しみやすい” とか “天然っぽくて可愛い” とか言ってたのはどこへ行った?

好調なときだけ距離を近づけて、都合が悪くなると真っ先に切り捨てる。

そんな扱いをされて、団子はようやく気づく。

「ああ、私は“都合よく扱える人間”として見られてたんだな」

よくある話?──「親しみやすい人」は、都合のいい人になりやすい

「話しかけやすいね」「明るくて柔らかい雰囲気だよね」

──そんな言葉を向けられた経験がある人、いるんじゃないだろうか。

最初は嬉しい。悪気のない褒め言葉のように聞こえる。

でもその“親しみやすさ”は、いつの間にか「いじっていい人」「甘えていい人」へとすり替えられていく。


「いじられキャラ」はピエロになりがち

特に、いじられキャラとして扱われるとき。そこにあるのは「信頼関係」じゃなくて、一方的な消費だ。

  • 断っても「ノリ悪い」で済まされる
  • ちょっと怒っただけで「マジギレ?怖〜」と周囲にネタにされる
  • 機嫌がよければ近づき、都合が悪くなると切り捨てられる

つまり、相手にとって都合のいいときだけ“陽キャ”として利用されて、都合が悪くなると“面倒な人”にされる。


結局、「親しまれる」は、コントロールされやすいってことだったりする

親しみやすいって、相手からすれば扱いやすいってこと。

その“扱いやすさ”が、ターゲットにされやすくなったり、無理なお願いを断れない雰囲気を作ったり「この人は怒らないから大丈夫」と線引きされる土台になったりする。

それでも、こっちは笑って応じ続ける。だって、「人から嫌われたくない」から。

でも――その結果、自分のことを一番後回しにしてきたのは自分自身だった。

団子的決意──「気難しい」で上等。それが自分の輪郭だから

もう、気難しいって思われてもいい。

扱いづらい人間って思われても、ぜんぜん構わない。

なぜなら、他人にとって“感じがいい人間”であり続けるより、自分が納得できる生き方の方が、よっぽど価値があるからだ。


これからは、やりたいことをやって生きる。

それについてこれる人だけ、そばにいてくれればいい。

無理してニコニコしたって、その笑顔が当然と思われるだけだ。

疲れたときに笑えなくなると、「変わった」と言われる。

なら最初から、“素の自分”で向き合って、そのままの自分を受け止めてくれる人とだけ、生きていけばいい。


人生は、人の評価を気にしてられるほど長くない。

ましてや、「嫌われたくないから」で、やりたくないことを飲み込み続けるには、短すぎる。


これは特別な結論でもない。

ネットでもよく見かけるような月並みな考えかもしれない。

でも、団子にとっては、実感と痛みを通して腹落ちした結論だ。

焦げ団子

だから、今日もこうしてこの思いを焦げた文字で焼きつけておく。

まとめ──“いい人”をやめた日から、人生は焼き直せる

誰かにとって「話しかけやすい人間」でいること。

それが無意識のうちに、自分をすり減らす理由になっていた。

「親しまれてた」んじゃなく、「都合よく扱いやすかった」だけだったのかもしれない。

でもそれに気づけた今、もう無理して笑わなくていい。

明るく見せなくていい。


団子はこれから、“気難しい”と思われようと、“わがまま”と言われようと、それが自分の輪郭なら堂々と生きる。

やりたいことをやって、やりたいだけ打ち込んで、納得できる人生だけを選んでいく。

そして、その道の途中でちゃんと隣にいてくれる人だけ、本物だと信じていく。


人気者じゃなくていい。

便利な人間じゃなくていい。

焦げたっていい。

それでも、自分で焼き直せる限り、人生は取り戻せるから。

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