関西人なら名前くらいは聞いたことがあると思うし、実際に行ってた人もけっこう多いはず。
焦げ団子も何度か行ってた。
観覧車、ジェットコースター、妙に広い広場……
なんというか、「関西のUSJじゃない方の遊園地」として、地元では定番だった。
ただこの場所を思い出すとき、どうしても避けられないのが――あの事故。
最後に行ったのは、事故のわずか2週間前。
たまたまだけど、微妙に近すぎるタイミングだったせいか、その後なんとなくずっと引っかかってる。
というわけで今回は、エキスポランドってどんな遊園地だったのか、なんで消えたのか、今あの場所はどうなってるのか、焦げ団子的にまとめておこうと思う。
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第1章:エキスポランドとは何だったのか?

エキスポランドは、1970年の大阪万博(EXPO’70)の会場跡地に生まれた遊園地だ。
開業は1972年3月15日、つまり万博終了から約2年後。
せっかく万博のために作った土地や施設を、このまま放置するのはもったいない
そんな流れで誕生した、万博の遺産再利用型レジャー施設だった。
場所は大阪府吹田市の千里万博公園内。
アクセスは阪急千里線の「山田駅」や大阪モノレール「万博記念公園駅」から徒歩圏内。
関西の私鉄+モノレール民にはめちゃくちゃありがたい立地だった。
園内はけっこう広く、最大時の敷地面積は20万㎡超え。
東京ドーム4個分以上という、意外とスケールでかい遊園地だった。
主なアトラクションも、関西人の記憶に残るものが多い。

「万博の遺産再利用」って、字面だけ見るとめちゃくちゃ渋いんだけど、実際はわりとフツーに遊園地だった記憶。
オロチ――エキスポランド最終期の顔
スイスのB&M社製、インバーテッド(ぶら下がり式)コースター。全長1,200m、最高地点43m、最高時速90kmと数字だけ見てもまあまあエグい。
名前がまた強くて「オロチ」。かっこいいし覚えやすい。
焦げ団子は乗ってない。父親が大好きで「オロチ乗ってくるわ」って言ってはしゃいでた記憶だけがある。
「オロチくん」っていう看板キャラクターがいてまだ実家にぬいぐるみが置いてある。
このコースター、閉園後はフランスの遊園地に売却され、「Monster」って名前で再稼働してる。人生二周目かよ。
風神雷神II――立ち乗り系の挑戦
1992年導入のスタンディングコースター。全長1,050m、最高地点40m、最高速度75km。
「風神」と「雷神」が左右に並んで走る双子コースターだった。見た目の迫力はあったけど、焦げ団子的にはたぶん一度も乗ってない。
というか、事故の印象が強すぎて、いまや「名前だけ知ってる」みたいな存在になってる。実際、2007年に脱輪事故が起きて、その後再開はしたものの、客足は戻らなかった。
ダイダラザウルス――万博の遺構かもしれないやつ
この名前、なんか覚えてる人多いんじゃないだろうか?
ダイダラザウルスは、もともと1970年の万博会場にあった建物を流用して作られたって話もある、いわば遺構系のジェットコースター。
最終仕様は全長2,340m、最高速度72.5km、乗車時間は6分半超え。長い、マジで長い。
焦げ団子はこれだけは乗った記憶がある。ジェットコースター苦手でも「そこまで怖くないから大丈夫」って言われて、乗ったら普通に怖かった。



毎回騙されて乗せられてた記憶•••
その他のアトラクションたち
観覧車「テクノスター」
万博時代の「スーパーゴンドラゴン」を引き継いだ大型観覧車で、高さ85m。
エキスポランドのシンボル的存在だった。
ゴンドラから見下ろす大阪の景色は、遊園地というより空中散歩。
あの観覧車があったから、あの場所の風景が記憶に焼きついてる。
スペース・ザラマンダー
アメリカのアロー社製の3回転コースター。
名前はかっこいいけど、動きはえぐい。
「ぐるぐるまわってるやつ」って言われたら、だいたいコレ。体感としては短いけど、回転するから記憶だけは濃い。
ビスタライナー
園内を一周する小型モノレール。高架の上を走るやつで、コースターとはまた違う静かな空中移動ができた。
焦げ団子的には「サイクルモノレールあった気がするんだけど…これだったのか?」と、今になって記憶がごっちゃになってる枠。
第2章:父親と、遊園地と、謎のショールーム施設


エキスポランドには何度か行ってるはずなのに、驚くほど記憶が少ない。
でもあの頃は毎回家族と一緒だったことは覚えてる。
つまり、団子の中でエキスポランド=父親のテンションが上がる場所、みたいなイメージだった。
父親はとにかく絶叫系が大好きで、「オロチ乗ってくる!」と何度も繰り返し、団子と母親をベンチに置いて1人で並びに行ってた記憶がある。
団子はというと、ダイダラザウルスには乗った。あれは「そんなに怖くないから」と言われて渋々乗ったら、普通に怖くて絶叫してた。
他は、観覧車に乗ったような気もするし、モノレールっぽい乗り物に乗ったかもしれない。…でも正直、それ以外の記憶が曖昧だ。
代わりに妙にはっきり覚えてるのが、近くにあった謎のショールーム施設――生活誕生館 DILIPA(ディリパ)だ。
ディリパは大阪ガスが運営していた施設で、家の構造や住宅設備を体験できる場所だったらしい。床暖房の部屋と、ただ寒いだけの部屋を比較体験するコーナーがあって、「うちはこんなにあったかくなるんです!」というデモンストレーションを見せられる。
その展示がなぜか面白くて、私は何度もそこに連れて行かれていた。
エキスポランドに行った記憶より、「ディリパで寒い部屋に入って凍えそうになった」記憶の方が強く残っている。
ある意味、エキスポランド=遊園地+謎の床暖房体験、みたいな思い出になっている。
あと、話は少し変わるが、万博公園の奥には国立民族学博物館(通称・民博)もあった。
こっちはエキスポランドと違って今も現存してて、週末の家族レジャーでセットになってた人も多いと思う。
アフリカの太鼓、巨大な仮面、世界の民族衣装…
子ども心にはちょっと不気味で、でも妙に印象に残る展示が並んでて、「なんかよく分かんないけどすごい空間」だった。
団子は父親とよく行ってたけど、遊園地と違って静かで神聖な雰囲気があって、ちょっと背筋が伸びたのを覚えてる。
今でもあのまま残ってるって考えると、あの頃の万博エリアの面影をちゃんと継いでくれてる存在なのかもしれない。
このあと、あの遊園地がどうなっていったのか――第3章に続く。
第3章:エキスポランドなぜ閉園したのか?


エキスポランドが「思い出の遊園地」から「消えたランドマーク」へ変わっていった背景には、いくつもの出来事があった。
その中でも最大の転機になったのが、2007年に起きた事故だった。
2007年、「風神雷神II」事故
2007年5月5日。
立ち乗り型コースター「風神雷神II(Fujin Raijin II)」で脱線事故が発生。
走行中に車両の車軸(アクスル)が破損し、前部車両が横倒しに。
この事故で19歳の女性が死亡、他19人が重軽傷を負った。
問題だったのは、事故原因となった部品が15年以上交換されていなかったという点。
しかも、事故後の点検で他の車両にも同様の亀裂が発見された。
これは単なる偶発的なミスではなく、安全管理体制そのものの不備を示す象徴的な出来事になった。
このニュースは全国に衝撃を与え、「エキスポランド=危険」というイメージが一気に広がるきっかけになった。
管理体制への不信感
事故のあと、国からの指導も入り、全遊具の緊急点検が実施された。
「経年劣化」「交換の遅れ」「点検報告の不備」など、ずさんな運営体制が次々と表面化。
類似構造のコースターを持つ全国の遊園地でも点検が行われ、業界全体に緊張が走った。
ただ、事故前から老朽化の話はささやかれていた。
風神雷神IIの導入は1992年。エキスポランド自体も、万博からの流れを引き継いだ施設。
ハード面でも、運営面でも、昭和を引きずったまま来ていた部分は否定できない。
営業再開と、戻らなかった空気
エキスポランドは事故を受けて一時休園。
その後、2007年8月に営業を再開した。
だが、あの空気はもう戻らなかった。
事故前は、「ちょっと遊びに行くのにちょうどいい遊園地」だった場所が、事故後は「なんか怖い」「あそこ大丈夫なん?」という存在になっていた。
そして、再開からわずか数か月後の12月。
正式に閉園の発表が出され、エキスポランドは完全に営業を停止した。
そして、消えていった
営業停止後も、資金繰りの悪化が続いた。
2009年2月、完全閉園と清算手続きが開始。
スポンサーも見つからず、経営再建も叶わず、そのまま施設は解体されていった。
観覧車も、ジェットコースターも、あの正面ゲートも。
残されたものは更地だけ。
一部の遊具は他の遊園地に引き取られたらしいが、ほとんどの設備は跡形もなく姿を消した。
それが起きた2週間前に――そこにいた
この事故が起きる2週間前、団子はエキスポランドに行ってた。
父親はオロチに何度も乗ってて、風神雷神IIにも以前から何度も乗ってた。
「立ち乗りで、なんかガタガタするコースターだった」と言ってたのを覚えてる。
だから、ニュースで脱線事故のことを知ったとき、ただ驚いた。
「え、あの風神雷神って…あれか」って。
事故があってからは、そのコースターの名前を聞くたびに、「父親がよく乗ってたやつ」ってことだけは毎回思い出す。



当時は小学生だったし、事故の詳細までは理解してなかったけど
「え、あそこでもう遊べないの?」ってだけはちゃんとショックだった。
第4章:跡地は今どうなっているのか?


EXPOCITYという複合施設に変貌
エキスポランドが閉園してから、しばらくの間は更地になっていた。
「観覧車の骨組みだけ残ってる」とか、そんな噂もあったけど、実際は全部撤去されてる。
その後、再開発が進んで、2015年にオープンしたのがEXPOCITY(エキスポシティ)。
ららぽーとを中心に、映画館とか、ニフレルっていう水族館とか、体験系のスポットがいろいろ入ってる。
「遊園地」ではなく「複合エンタメ空間」に
EXPOCITYって、もはや完全に遊園地ではない。
フードコートや映画館、VR体験とか、デートや家族連れ向けの何でもありの巨大モールって感じ。
でも、ちゃんとエンタメの要素はあって、子ども向けの体験施設もそれなりに充実してる。
ただ、かつての「回る」「落ちる」「ぶっ飛ぶ」みたいな遊園地の刺激は、完全に消えてる。
遊園地の痕跡はほとんど消えた
今のEXPOCITYを歩いていても、「ここに風神雷神あったな」とか「オロチの軌道ここじゃなかったっけ?」みたいな手がかりはまったくない。
レールも残ってないし、建物もゼロ。どこがどのアトラクションの跡地かも見当がつかない。
ただ、観覧車だけはある。しかも、かなりでかい。
「REDHORSE OSAKA WHEEL」っていう123mの観覧車で、今のEXPOCITYのランドマークになってる。
昔の観覧車とは全然違うけど、あの場所に観覧車があるってだけで、記憶が勝手に引っ張られる瞬間がある。



EXPOCITYの観覧車見るたびに、「なんか違うけど…あったなそういえば」ってなる現象、関西人あるあるじゃね?
まとめ:エキスポランドは、かたちを変えて残っている
エキスポランドは、もうこの世にない。
でも、跡地にできたEXPOCITYでは、いまも多くの人が買い物を楽しみ、観覧車に乗って、週末を過ごしている。
遊園地だった頃の「絶叫」とは少し違うけれど、あの場所は今も、ちゃんと誰かの楽しい思い出をつくる場所になっている。
正直、エキスポランドにはいろんなことがあった。
楽しい思い出もあるし、最後は重たいニュースで記憶に残った。
でもそれも含めて、自分にとっては「家族と何度も通った、思い出の遊園地」だった。
たぶん、そういう人は他にもいっぱいいる。
だから今後もこの場所は、エキスポランドだったことをどこかに引き継ぎながら、かたちを変えて、生き続けていくんだと思う。



もう二度と戻らないあの頃に思いを馳せて•••
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