「蜘蛛の糸」芥川龍之介――地獄の底で手を伸ばす“欲”と“救い”の本質を考察【焦げ団子流】

学校で習うだけの童話じゃない、大人が読むとエグいほど心えぐられる。『蜘蛛の糸』の本当の怖さと芥川のブラックユーモアを、焦げ団子流で徹底解説!

『蜘蛛の糸』。誰もが一度は「はいはい、道徳の名作ね」って顔で読まされるけど、
大人になって読み返すと「え、これこんなブラックな話だったの!?」と気づく。

  • 釈迦は上から地獄ウォッチング。手を差し伸べるふりして、基本ずっと見てるだけ
  • 極楽の蓮はピカピカ、地獄はお約束の血と炎。天国と地獄の演出もガチすぎ。
  • 主人公カンダタはクモ助けた実績だけで救済ガチャ一回まわしてもらえたけど――

実際は「お前ら下界はどこまでいっても地獄だぞ?」って、
仏様が高みの見物しながらニヤニヤしてるような、
人間の業(ごう)も救いのなさも全部ぶちまける後味MAXの怪作。

――で、読み終わると大体みんな思うわけだ。

「釈迦、ちょっと性格悪くね?」

そんな『蜘蛛の糸』、焦げ団子が遠慮なく、煮て焼いてぶった切ってやります。


今回取り上げる本はこちら
ちなみに青空文庫で無料で読めますが、紙で読んでみたい方はこちらへどうぞ。

蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇 (岩波文庫 緑 70-7)/芥川 龍之介 (著)

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目次

『蜘蛛の糸』あらすじ【焦げ団子流の超要約】

ある日のこと。極楽の、やたら高級そうな蓮池で、お釈迦さまがヒマつぶしに地獄を覗き込んでいる。
下界はというと、見渡す限りの火炎・絶叫・カオス。

カンタダという極悪人

その中でひときわ存在感を放つのが、筋金入りの極悪人カンダタさん。生前は「放火と殺しは趣味」くらいの勢いで、悪事コンプリートの人生。

クモを助けた唯一の善行

だが、そんなカンダタにも唯一のほめポイントがあった。道端のクモをふとした拍子に助けた、ただそれだけ。

お釈迦様の「救済ガチャ」

で、これを見逃さなかったお釈迦さま
「たまにはワンチャンやってやるか」と、極楽から“クモの糸”を地獄へ直送。

カンダタ、まさかの救済チャンスにテンションMAX。
「オレだけは生還するぞ!」とノリノリで糸を登り始める。

が、世の中そんなに甘くない。
後ろから他の亡者たちが「俺も!」「私も!」と大行列で追いかけてくる。
焦ったカンダタ、思わず「やめろ!来るな!この糸は俺だけのもんだ!」と叫んだ瞬間――

ぷち。
糸はあっさり切れて、カンダタは元いた地獄へ真っ逆さま。

その結末を見届けたお釈迦さまは、特に感情もなく蓮の花に囲まれて、今日も極楽日和。

「蜘蛛の糸」の教訓・意味・仏教的メタファーを本気で解説

ぶっちゃけ、「蜘蛛の糸」に出てくる
地獄、極楽、仏――このあたり、現代人にはもはやファンタジー用語。

ここでは物語に没入しやすいよう用語の解説を加えていく。

クモの糸って?仏教的メタファー

蜘蛛の糸は仏教的メタファーとなっている。
つまり「どんな小さい善行も“救いのチャンス”にはなるけど、
その糸を握る手に“エゴ”があった瞬間、問答無用でバチンと切られる」
人間の浅ましさごと暴かれる、ブラックなギミック。

地獄/極楽って何?

簡単に言うと「死んだ後の人間をふるい分けられた、究極の天国orデスゲーム会場」。
悪さした奴は地獄、良いことした奴は極楽へ直行、ってシンプルだけど恐怖システム。

お釈迦さまって誰?

仏教界の全知全能スーパー開祖。本来は「すべてを救う優しき存在」だけど、
この物語では、極楽のラグジュアリー蓮池から下界をのぞき込む高みの見物エリート感MAXお釈迦様

カンダタとは何者?

実はお経には出てこない、芥川オリジナルの極悪人キャラ。放火、殺し、全部コンプリート。
でもなぜか「クモ助けたポイント」だけやたら評価されて一度だけ救済ガチャの切符をもらう。

『蜘蛛の糸』に見る因果応報と日本的ブラックさ

「蜘蛛の糸」そもそもの元ネタは?

芥川は仏教のお経『大乗本生心地観経』からインスパイア。
仏さまが地獄観察しつつ「ごくたまに善いことした魂だけ、糸で救い出す」という話がベースになっている。

寓話としての狙い

ここがエグい。西洋の童話なら「小さな善行→全員ハッピー」なんだが、
芥川流は「せっかくの救いもエゴでパァ」というシビアっぷり。
人間のどうしようもなさを全力で道徳寓話に仕立ててくる。

“日本の因果応報”という闇

一度失敗した人間をぶっ叩くのが大好きな日本人よろしく
何やっても結局「一度悪い奴は何しても性根が悪いと悪い奴のまま」っていう因果応報の精神が根付く闇。
「救いの糸はぶら下がってても、自分でそれを切るのが人間」という、超ブラックなメッセージとなっている。

なぜカンダタはクモ助けただけで慈悲が向けられたのか?

いやいや、カンダタさん、
生前は「悪事オンパレード人生」だったはずなのに、
クモ一匹助けた」だけでVIP救済ルート開通ってどういう仕組みだよ…

って思った読者、正直多いはず。

でもこれ、仏教的には「たとえ99回悪事働いても、たった1回でも善行すれば、その一瞬に救いの糸が垂れてくる」という慈悲のポイント大盤振る舞いシステム

要するに仏様は「どんな極悪人にも、ギリギリまでチャンスは与えてみる」っていう、
意外とゆるい運営方針。(これが西洋童話との最大の違い)

とはいえ、「助けてもらえるかどうか」は、その後の“心の持ち方”次第
仏様はクモ助けた事実は評価してくれるけど、
その糸にぶら下がる時「俺だけ助かれ!」とエゴを発揮した瞬間、
「はーい、そこまで」って問答無用でゲームオーバー。

つまるところ、

「どんな極悪人でもワンチャン救われるけど、
最後はやっぱりお前の業次第」という、芥川的ドS仕様。

カンダタはなぜ救われなかったのか?――エゴ爆発人間を全力で擁護してみる

だいたい『蜘蛛の糸』って、読めば読むほど主人公のカンダタに肩入れしてしまう
――これが現代人の正直な読書体験だろう。

だってさ、「自分だけは這い上がりたい」「この糸は俺だけのもんだ」って、そんなのもう人間の本音じゃん。
地獄の底から一筋の糸が垂れてきて、助かるかもしれないワンチャン
これにすがらずに何にすがる。
しかも後ろから知らんやつらが何千人も芋づる式に登ってきたら、
オイ待て、俺の糸だろコレ!こんな細い糸にそんな大量にぶらさがってたら切れちゃうだろ!」って叫びたくなるのが人情ってもんだ。

きれいごとでは「みんな一緒に助かればいいね」って言うけど、
実際リアルな極限状況で他人の幸せまで祈れるやつなんてまず存在しない。
自分が溺れてる時、他人の手まで引っ張れる人間なんて、
現実世界では聖人か詐欺師くらいしかいないのだ。

芥川はこの誰もがカンダタって感覚を見抜いてた。
共感できる人間=自分もまた地獄の住人
その自覚を、これでもかと読者に味わわせる。

糸が切れた瞬間、
カンダタ、わかるぞ、お前」と思ったことを見なかったことにする読者も多いはず。

人間なんてそんなもんだ――
その居心地の悪さも、芥川がこの話に隠し込んだブラックな魔力のひとつ。

芥川龍之介「蜘蛛の糸」、まとめと現代へのメッセージ

『蜘蛛の糸』は、「小さな善行にも救いのチャンスはあるよ」と見せかけておいて、
最後は「人間は結局、自分の業(ごう)に負けて元通り」という救いのなさをこれでもかと叩き込んでくる、
「日本製ブラック童話」の最高峰。

…これを道徳教材として読ませるあたり、
日本の教育もなかなかにドSだよな。


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蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇 (岩波文庫 緑 70-7)/芥川 龍之介 (著)


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