「昔は良かったよなぁ」
これ、ある程度の年齢を超えたあたりから口癖になるやつ。
テレビのバラエティ、駄菓子屋のくじ引き、夏の夜のカブトムシ。
「昔は最高だった」だの、「今はなんか違う」だの。
でも気づいてるんだよ、本当は。
「昔の方が輝いて見えるのって、今から逃げてる証拠」だって。
実際、昔だって全部が全部楽しかったわけじゃない。
今よりずっとパワハラ・セクハラが横行してたし、あらゆる規制がガバガバで。
スマホもなくて恋愛だって黒歴史まみれ。
だけど「今のダルさ」から目をそらすために、脳が勝手に美化フィルターをかけてる。
——まあ、それでも「昔は良かった」って言ってるときだけは、なんとなく安心できるんだよな。
今がイマイチでも、「本当の俺はもっと輝いてたはずだ」って逃げ道ができるから。
でも、そのセリフを連呼してる間に、
今がどんどん“面白くなくなっていく”という不都合な真実がある。
今日もまた、気づけば「新しいもの」より「昔ハマってたやつ」にお金と時間を突っ込んでる。
このまま懐かしさジャンキーになったらヤバいぞ、という自戒も込めて。
さて、今回はそんな「あの頃は良かったと言い続ける現象」を、
焦げ団子的視点で皮肉たっぷりに検証していく。
1. 思い出補正という最強の錯覚
ぶっちゃけ自分は「あの頃は良かった」って普段あまり言わないタイプだ。
むしろ周りの“懐古厨”を見て「いやいや、今も割と悪くないだろ」と思ってる派。
でもさ、思い出補正ってやつだけは、黙ってても勝手に脳内で発動するんだよな。
たとえば、
- 昔の夏休み→キラキラの連続(のはず)
- 昔ハマったアニメ→今見直すと何でも名作に思える(気がする)
- 昔の友達とのバカ騒ぎ→永遠に戻りたい(ような気がする)
…でも、よくよく思い出せば「宿題に追われて半泣き」とか、「教室で浮いてて寝たふり」とか、
だいぶしょうもない現実も混じってたはず。
なのに脳は、都合のいい部分だけ切り取って、無理やり良かった時代を捏造してくる。
これが思い出補正という最強の編集機能。
今のしんどさ・退屈さ・イマイチな日々は全部カットして、
あの頃の自分は輝いてた!っていう名シーンだけで脳内アルバムを水増ししてくる。
なんなら「その時も実はそんな楽しくなかったのに、なぜか今になると名作扱い」みたいな現象すら起きる。
もうここまでくると、「過去は美しい」ってより「現実から目を逸らしたい本能」なんじゃないかと疑ってしまう。
——ま、そういう自分も、深夜に昔の曲をYouTubeで漁りまくってあの頃を補給してるんだけどな。
思い出補正からは誰も逃げられない。
皮肉な話だ。
2. 「今」をサボってる間に「今」が消滅する

思い出補正って便利だよな。
「今がつまんない」「最近刺激がない」って思っても脳内アルバムを開けば、
「ほら見ろ、あの頃はもっと楽しかったじゃん!」って自分を慰めてくれる。
でも、その安心感に浸ってる間に…
今この瞬間の面白さが、どんどん死んでいくってのが一番の罠。
今を雑に扱ったら、未来の思い出も劣化する
これ、冷静に考えれば当然だ。
「今なんかイマイチ」とか言って日々を雑に消化してたら、
10年後振り返った時に残るのは、まあまあの過去しかない。
しかも、そのときになって「10年前は良かったな~」とか言い出すんだからタチが悪い。
本当は「今」だって、10年後には「あの頃」になるのに。
「今の夏は暑すぎ」「今の若い子は…」とか言ってる間に季節が終わる
「昔の夏はよかった」「今の夏は地獄」
この手のセリフ、団子もつい言いそうになる。
でもそれ言ってる間に、
今、目の前にある夏が、そーっと消えてくんだよな。
新しい遊びもせず、エアコンの部屋で「暑すぎ」と文句言って、
気づけばまた思い出補正のネタが一つ増えるだけ。
今がつまらないのは、今を楽しもうとしてないだけかも?
ぶっちゃけ、「今」がつまらなく見えるのって、
自分の楽しむ意欲が死んでるだけの可能性も高い。
「昔は…」ばっかり言ってても、今の自分は微動だにしない。
スマホの中の思い出ばっかり漁ってても、現実の今日はまったく進まない。
だからこそ、“今の自分”にもちゃんと投資してやるべきなんだよな。
…と、未来の自分に言い訳できないように、ここで自戒も込めて書いとく。
3. 懐かしさ依存という現代病
正直、団子も「昔のネット文化」とか「初期ニコ動」みたいな自由で混沌としてた時代にはやたら懐古しがち。
あの頃のネット、なんでもアリだったし、みんなちょっとイカれてて最高に楽しかった。
今のSNS含めあらゆることが管理されすぎてて息苦しいのも、昔を美化する原因かもしれない。
YouTubeで伝説の空耳動画を深夜に漁ったり、
「このブログまだ残ってるじゃん!」って10年前のアーカイブ見てニヤつく瞬間、
めちゃくちゃ生きてた実感を思い出せる。
懐古厨って、要は「今がうす味すぎて昔にスパイスを求めてる」んだよな。
思い出ダイエットの罠
でも、その「懐かしさ補給」ばっかりやってると、
今の刺激は全部、過去の焼き直しで済ませるクセがついてくる。
昔の文化を追体験して「やっぱ最高!」って満足してる間に、
「今生きてるはずの自分」が思い出の亡霊になっていく。
「懐かしい」が“新しい”を殺す
気づいたら、
・昔の歌しか聴かない
・流行のサービスは全部「昔の方が面白かった」で切り捨てる
・新作映画やゲームは「前の作品の方が…」と文句だけ増えていく
…これ、創造性も好奇心も死ぬルート。
一回「懐かしさジャンキー」になると、どんどん今が味気なくなって、
本当に“昔の人間”になっていく。
団子的結論
懐古は「今を否定するための盾」にしちゃいけない。
昔も良かったし、今もまあまあ面白いって言えるやつだけが、この先も何かにワクワクできるんだと思う。
たまに「昔のほうがよかった」って思うこともあるけど、
せめて「今の世界でももうちょい悪あがきしてみるか」って気持ちは捨てずにいたい。
それが団子の意地ってやつ。
4. 団子的まとめ&戒め――「懐古は全然アリ。でも今も味わえ」
正直、焦げ団子も「昔は良かった」って語りたくなる日は普通にある。
スマホもなくてあらゆることがアナログでテレビのバラエティもなんでもありだったあの頃。
ネット初期のカオスな空気、夜更かししながら眺めたあのコメント欄…
人間なんてどうしたって、思い出補正には勝てない生き物だ。
でも、「昔が最高」と言い続けて今を雑に扱ったら、
どの時代でも思い出にしがみつく自分しか残らなくなる。
——それが一番ダサい。
懐古も、今を味わうのも、どっちも人間の本能。
ただ、“今をバカにしてる自分”だけにはならないと決めておきたい。
未来で「あの頃の自分、なかなかやるじゃん」と言えるように、
今日という日もちゃんと焼き直してやる。
それが、団子的流儀。
どうせ数年後もまた、
「あの頃はよかった」なんて懐古トークで盛り上がってる気がするけど――
それもまた、良し。