『蜜柑』芥川龍之介|窓開け田舎娘に不意打ちくらった焦げ団子の読書感想

名作らしいし短い(5ページ)から読んでみるか、と軽いノリで手を出したら、
寒空の汽車の中で窓を開けられ、心まで開かれるという洗礼を受けた話。



まさか田舎娘に蜜柑で感情を持っていかれるとは…。

そんな読書体験を、焦げ団子がいつもの如く斜め上の角度から切り込んでいきます。




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蜜柑・尾生の信 他十八篇 (岩波文庫)/芥川 竜之介 (著)

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目次

あらすじ:うっかり情緒に殴られる5分間

舞台は、冬の寒々しい汽車の中。

語り手の男は、「やれやれ…」が似合いそうな典型的冷笑系大人

そこへ、汚れた田舎娘が乗り込んでくる。

見た目はボロいし、態度も下品。
なぜか無言で窓を開けて、寒風ブチ込みスタイル。

なんなんだこの女」と思った直後、事件は起きる。
娘が風呂敷から蜜柑を取り出して、外に向かってポン、と投げる。
弟たちが踏切の柵の向こうにいたらしい。

たったそれだけで、景色が裏返る。


彼女の不愛想な態度の裏にある“別れの愛情”が、無言で襲ってくる。

汽車という空間の閉塞感・昭和レトロ感

汽車の車内って、今の電車や新幹線とは少し違う世界。

  • 冬の空気は重く、座席も板張りで硬い。
  • 暖房なんてなし、窓の外からは冷たい風が容赦なく吹き込む。
  • 誰もが分厚いコートやマフラーに身を包んで、膝に風呂敷や小さな荷物を抱えて身を縮めている。
  • 隣に座るのがどんな人間かわからない、でも無言で同じ“密室”に閉じ込められる独特の緊張感。
  • 車内にいる全員が“自分の人生”を背負っていて、その人生が一瞬だけ交差する場所――それが汽車。

今みたいに完全に無関心でスルーもできない。乗客同士の距離感も今よりずっと近くて
むしろ、他人の小さな行動が、全員の空気を一変させる舞台装置になってる。蜜柑の香りに、一瞬だけ大人たちも童心に帰る、そんな錯覚すらあったかもしれない。

もし今この車両に蜜柑が飛んできても誰も気づかないか、Xで晒されてインスタのストーリーで消費されて終わりだろう。

「窓開けるな」から「窓開けていいぞ」への180度ターン

この語り手、娘の醜さと下品さを詳細に描写しておいて読者と目線が近くしてる。
ちょっと冷めてて、なんか文句言いがち。
だからつい感情移入しちゃう。
で、窓を開ける田舎娘にムッとする。

……からの、蜜柑ポーンですよ。

弟たちに向けて、何も言わずに愛情だけを放るこの娘の行動。
一瞬でこっちの罪悪感を突いてくる

つまりこの作品、読者に「主人公わかる〜」って思わせといて、田舎娘の健気さをぶつけてきて、「お前も決めつけてたよな?」って静かにビンタしてくるタイプの文学。


いや、卑怯だろこの構成。
まんまと作者の掌の上で転がされて、心に罪悪感植えつけてきやがる

考察:奉公という背景が、さらに刺してくる

本文に、

恐らくはこれから奉公先へ赴こうとしている小娘

と、描写があるように、娘は奉公先へ向かうために汽車に乗り込んだ可能性が高い。



ちょっと当時の奉公について補足すると


当時の「奉公」っていうのは、今でいう“地方から都市への住み込み労働”みたいなもの。
10代前半の女の子が、都市の家に住み込みで働きに出される。

給料は家に送金、休みもほぼなく、帰省なんて年に一度できればラッキー
中には、何年も実家に戻れないまま“向こうの人間”になる子もいた。

つまりあの田舎娘は、汽車に乗って「もう二度と会えないかもしれない弟たち」へ、最後の蜜柑を投げた可能性がある。


ポケットの蜜柑は、お土産なんかじゃなく、“さようなら”の代わりだったのかもしれない。

奉公少女の“人生その後”

あの田舎娘は多分これから都会のどこかで、知らない家の“お手伝いさん”として暮らす日々が始まる。

  • 朝から晩まで働きづめ、弟たちの顔は記憶の中でしか思い出せない。
  • お正月やお盆も簡単には帰れない。
  • ふとした瞬間、汽車の窓から蜜柑を投げた時の手の感触や、弟たちの小さな姿を思い出しては、胸の奥がじんわり熱くなる

もしかしたら、
あの蜜柑の“最後の一個”を、ずっと心のお守りみたいに覚えて生きていくのかもしれない。

そしてまた、帰省の汽車に揺られる日が来たとき――
また誰かに蜜柑を渡しているのかもしれない。

まとめ:蜜柑、それは静かに情緒に刺してくる爆弾

彼女の行動は説明がないぶん、効く。
窓を開け、蜜柑を投げ、そして席に着く。
それがなぜか、ものすごく人間的に感じる。
芥川のやり口、えげつない。
説明ゼロで、読者にだけ感情処理を押しつけてくる。

もし今、あの汽車のシーンが再現されたら、
みんなスマホいじって誰も娘を見やしないだろう。
でも当時の汽車は、たった数分の偶然で他人の人生に情緒クラッシュを食らう密室だった。

蜜柑の香りがふわっと広がった瞬間、
語り手も、たぶん車両全体も、ちょっとだけ温度が上がったのかもしれない。

あの娘の奉公先のことを想像してしまう。
もう弟たちに会えないかもしれないと知りながら、
これが最後の蜜柑だよ」って、何も言わずに放る強さ。

芥川龍之介『蜜柑』、焦げ団子的あとがき

文学とは、不意打ちで感情を引きずり出してくる言葉の暴力。
蜜柑ひとつで心の温度を上げてくるこの作品、思ってたよりずっと重かった。

正直、「さっさと窓閉めろよ」ってイラついてた自分が、5分後には蜜柑の行方に全集中してたなんて、ちょっと情けない。



芥川さんよ…
たしかに名作ですわ。沁みたよ、蜜柑。


でもこれ、もしかして実体験じゃない?

汽車でたまたま見かけた田舎娘に勝手に感情を動かされてそのまま筆握った感じ、あるよね?
正直に言ってくれていいんですよ、先生。


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